タミル人の移住 海人はタミル人か

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日本に移住したと仮にした場合の、それ以前に関してであり、現在の機敏な問題に言及するものではない。

海人はタミル人か

ドラヴィダ系民族

タミル人は、タミル語を話すドラヴィダ語族、ドラヴィダ系民族。オーストラロイド民族で紀元前からインドに定住していたと考えられている。
インダス文明はドラヴィダ系民族によるものだとする指摘もある。

ドラヴィダ語族のうち、言語がタミル語である民族がタミル人とされる。

アーリア人の流入

アーリア人が前15世紀からインドに流入しはじめ、やがてドラヴィダ系民族との混血が進み宗教の融合が進んだ。

カースト制度は、明確にアーリア人のみが上位とされていた訳ではないようであるが(私が大学で学んだ頃より研究が進んだらしい)、言語や宗教で同化できないドラヴィダ系民族は奴隷階級とされ、その反発から部派仏教やジャイナ教が生まれたともいえる。

つまり部派仏教は、アーリア人のバラモン教(ヴェーダ教)によるカースト制度に対するアンチテーゼとして成立した。

南下

前10世紀頃には、対立から同化しなかった民族の伝統を守ったタミル人を含むドラヴィダ系民族が南下を始める。

仮にこれと期を同じくしてインド亜大陸を離れ東へ向かった者たちがいたとしたら、日本の弥生時代の始まりが前10世紀から前4世紀とされているので、タミル人が日本に移住したとする説はそれほど荒唐無稽な話でもない。

海人はタミル人か

ドラヴィダ系民族は極めて早期から農耕と牧畜を行っていたと考えられている。

農耕の技術を持ち、そして長い航海を経て日本にたどり着いたとすれば、離島を拠点に日本本土に稲作を持ち込み移住してきた海人たちと民族定義要件が重なる。

沖縄、壱岐、対馬、済州島とその痕跡ではないかと思われる習俗・言語・地名などが残っているが、離島からゆるやかな移住が始まったのかもしれない。
もちろん、その頃には先住民族との混血・同化が進んでいたと思うが。
ちなみに沖縄の現在の方言は、現在の日本語の中では最も古代日本語の特徴を色濃く残すものであるらしい。

参考資料

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