タミル人の移住 考察点の欠片列挙

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考察点の欠片列挙

アメーバブログ 2017/04/18投稿記事より転載

縄文時代の日本

縄文時代、日本は東西で明確に分かれていたらしい。
現在の長野県の西側県境あたりがその境界線だったという。

東は北方モンゴリアン、西は南方モンゴリアンということだったのだろう。

現在の福岡県を追われた安曇族の一部が、長野県安曇野市あたりに新たな居住地を定めたことに合点がいく。
東側で、かつ西側に隣接している場所。奈良盆地西方山岳地帯の葛城と地政学的に同様な位置になる。

西側に住む南方モンゴリアンはオーストロネシア語族の仲間であった。

日本人の成立過程

オーストロネシア語族は、現在の西南太平洋に広く分布する。
北方モンゴリアンより比較的早期にアフリカを離れ、南経由でスンダランドから広がっていったのだろう。

そこに稲作や機織りなど弥生時代へと進むきっかけとなる新たな民族が西日本に移住してくる。
その民族は現在のインド南部に居住していたドラヴィダ語族のタミル人だった。

始めオーストロネシア語族南方モンゴリアンとタミル人が混血が進み、やがて北方モンゴリアンの地、東日本を制圧しそこでも混血が進んだ。
現在の日本人は、「(南方モンゴリアン×タミル人)×北方モンゴリアン」ということになる。

牛頭神

部派仏教の時代、原始仏教にタントラと呼ばれる秘術を織り込みタントラ仏教が生まれ、それがチベットで密教へと進化した。

その密教は日本に伝わり広く信仰されることになるのだが、それには明確な理由があった。

ドラヴィダ人たちの神と、日本の海民族の秘神の起源は同じだと思われる同じ姿をした「牛頭神」であった。
密教のある部分の要素は、私たちの弥生時代からの習俗に既に織り込まれていたからこそ、密教にも「共感」できたのであろう。

参考資料

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